どこで、誰が話している?
奄美語は、鹿児島県の南、奄美群島で話されてきたことばだ。奄美大島・加計呂麻島・請島・与路島、そして喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島。九州と沖縄本島のあいだに点々と並ぶ島々である。群島の人口は約10万4,000人(2020年)。
地元では「シマユムタ」「島口(シマグチ)」と呼ぶ。喜界島では「シマユミタ」、沖永良部島では「島ムニ」、与論島では「ユンヌフトゥバ」。呼び名からして島ごとに違う。日琉語族の北琉球のグループに入り、沖縄語の親戚にあたるが、国の分類ではいまも「奄美方言」だ。
話し手の数ははっきりしない。奄美大島だけで北部の約1万人と南部の約2,000人という推計があり、群島全体では約3万4,000人とする資料もある。どちらにしても、中心は高齢層である。島どうしの差も大きく、奄美大島・名瀬のことばは、沖永良部島や与論島ではほとんど通じないという。
どんな音がする?
奄美大島と徳之島のことばには、母音が7つある。日本語の「ア・イ・ウ・エ・オ」に、舌を口のまんなかに置いて出すï と ëが加わる。日本語のオはウになり、日本語のエは中舌の ï に変わって、イとの区別を残した。
子音では、息を強く出す「カ・タ」と、喉を締めて息を出さない「カ・タ」とを言い分ける。単語のなかのカ行は、hに変わったり消えたりしやすい。「高い」は大和村でtaxasa(タハサに近い)、与路島ではtaːsa(ターサ)。奄美大島の北端、佐仁の集落では、長い母音や鼻にかかる母音まで数えると母音が18にもなり、琉球の言語でいちばん多いとされる。
どんな文字で書く?
書くときはひらがな・カタカナを使う。ただし決まった正書法はない。日本語にない ï や ë、喉を締める音には対応する仮名がないので、辞典や教材は小書きの字や記号で工夫している。たとえば「木の精」の妖怪は、本来の音ではクィンムンに近い。それが標準語風に崩れて、よく知られた「ケンムン」になった。
文法のクセ
語順は日本語と同じ主語・目的語・動詞だ。瀬戸内町古仁屋のことばで「ʔura ja katʃi m wan na kakam」は「君は書いても、私は書かない」。kakam の m が「〜ない」を表す。
おもしろいのは、文の終わりの形が2種類あることだ。「書く」なら、「書きをり」から来た kakjuri 系と、「む」がついた形から来た kakjum 系。どちらも使われ、意味が少し違う。強調の「du(ぞ)」が入ると文末の形が変わる、古典日本語の係り結びに似たしくみも残っている。
この言語でしか言えない言葉
歴史をひとことで
奄美の名は古く、『日本書紀』の657年の記事に「海見嶋」として出てくる。15世紀、群島は琉球王国の支配に入った。1609年、薩摩藩が琉球に攻め込み、1611年に奄美は薩摩に割譲される。その後は砂糖で納める重い税が課され、島はサトウキビ一色になった。言葉が沖縄のことばと近いまま、行政は鹿児島に属するという、いまの姿はここから始まる。
戦後の1946年、奄美はアメリカの統治下に置かれ、1953年12月25日に日本へ戻った。一方で家庭のことばは細っていく。大正の終わりから標準語教育が広がり、1950〜60年代に子どもだった世代で日本語への切りかえが一気に進んだ。島のことばと標準語が混ざった「トン普通語」も生まれた。トンは奄美のことばでサツマイモのことである。
いま、この言語は
2009年、ユネスコは奄美語を消滅危機言語の「危険」に分類した。これを受けて、島々で記録と継承の取り組みが続いている。
奄美群島では2月18日が「方言の日」だ。大島地区の文化協会が2007年度に定めた。日付は与論のことばで「ことば」を表すフトゥバの語呂合わせで、フが2、トゥが10、バが8。この日の前後には、喜界島で子どもたちのシマユミタ大会、与論島で方言カルタ大会が開かれる。2020年2月には文化庁の「危機的な状況にある言語・方言サミット」が奄美市で開かれ、2日間でのべ約1,350人が集まった。中学校でも、地域の高齢者に話を聞いて「島口クイズ」を作る授業が行われている。
ことばカード
「ありがとう」ひとつとっても、島ごとに言い方も由来も違う。
もし学ぶなら
おすすめの入り口
まずは「ありがっさまりょーた」と「うがみんしょうらん」。奄美市の案内文でも、挨拶の一言目に使われている。次に、島ごとの「ありがとう」を並べてみる。拝む、重たかろう、尊いお方。お礼の言い方ひとつに、島の暮らしが映っている。
もう少し深く知りたいなら、惠原義盛『奄美方言さんぽ』や、長田須磨らの『奄美方言分類辞典』が入り口になる。2月18日の「方言の日」のころには、島々で子どもたちの方言大会やカルタ大会が開かれる。
話し手の数は推計で、資料によって幅があります。音声は端末の合成音声で、話者による録音ではありません。