どこで、誰が話している?
エヤック語は、アラスカ南部、コッパー川の河口あたりで話されていた言語だ。いまの町でいえばコルドバの周辺で、話していたのはエヤックの人たち。自分たちのことを dAXunhyuu(ダフンユー)と呼んできた。
人々は内陸からコッパー川を下って海辺に移り、サケをとって暮らしてきた。ところが19世紀の後半、アメリカ人がやってきてサケの缶詰工場を開き、同じサケを奪い合うようになる。病気も広がり、ある村の人口は1880年の約117人から、1890年には約48人に減った。1900年ごろには、エヤックの人は全部で約60人になっていたとされる。
そして2008年1月21日、最後の母語話者マリー・スミス・ジョーンズが89歳で亡くなった。いま、この言語を生まれたときから話す人はいない。
どんな音がする?
喉を締めて破裂させる放出音や、日本語よりずっと奥、のどの近くで出す音がある。舌の横から息を漏らす音もあって、綴りでは tl' と書く「トゥルッ」のような音はその仲間だ。
母音は5種類で、そのひとつは力の抜けた曖昧な「ア」。さらに長い・短いに加えて、鼻に抜ける母音、きしむような母音、息のまじった母音を区別する。「さようなら」は q'ahdi'lah。頭の q' はのどの奥で弾く音で、カタカナで書けばおおよそ「カディラ」になる。
どんな文字で書く?
文字はラテン文字だ。ただし大文字と小文字が別の音を表すのがおもしろい。A は曖昧な「ア」、G はのどの奥の k、X はのどの奥でこする h、L は舌の横から息を漏らす音。アポストロフィはのどを締める印、母音のあとの h や n は、息まじりや鼻に抜ける母音の印だ。
だから文の途中でも大文字が混ざる。白鳥は GAXtl'、ギンザケは AdAte'ya'。アラスカ州が掲げたエヤック語のあいさつは、こう書く。
文法のクセ
エヤック語は、部品をつなげて長い単語をつくる言語だ。とくに動詞が大きく、語幹の前に9つ、後ろに4つの部品の置き場所がある。その組み合わせで、日本語なら一文になる中身を一語に詰めこむ。
身内や体の部分は、誰のものかをつけて言うのが基本だ。si- は「私の」、'i- は「あなたの」で、siya:q'e' は「私のおば(母の姉妹)」、'ita:' は「あなたの父」だ。
系統はナ・デネ語族。いちばん近い親戚は、アラスカからカナダ、アメリカ南西部のナバホ語まで広がるアサバスカ諸語だ。
この言語でしか言えない言葉
歴史をひとことで
アメリカより先にこの地と交易したロシア人は、エヤックを独立した文化として地図に記していた。その後のアメリカ統治のもとで英語が広がり、言語を話すことが恥とされる空気のなかで、家庭での受け渡しが途切れていく。マリーには9人の子どもがいたが、誰もエヤック語を話せるようには育たなかった。
転機は1960年代はじめだ。言語学者マイケル・クラウスが記録を始めたとき、話し手は6人残っていた。クラウスは話し手たちと何十年も向き合い、1970年には約3,000ページのタイプ原稿の辞書をまとめた。マリーは晩年、国連で2度、先住民の言語について話している。
いま、この言語は
マリーの死で、エヤック語は母語話者のいない消滅した言語になった。けれど、記録はそこで止まらなかった。
フランスに住む少年ギヨーム・ルデュエは、12〜13歳のころにエヤック語の教材を取り寄せ、独学で学び始めた。2010年7月にはコルドバを訪れ、クラウスのもとで学んでいる。いまでは流暢に話し、エヤック語の講座やカルチャーキャンプで先生をつとめる。マリーは生前、「遠くから来た誰かが、このことばを救う」と語っていたという。
2012年からは、クラウスの辞書をデータベースに入れ直す作業が進み、見出し語は約2倍に増えた。2016年の時点で、オンライン学習の利用者は約100人、そのうち約40人がエヤックの血を引く人たちだった。最後の話し手が亡くなった日は、終わりの日であると同時に、学び直しが始まった日にもなっている。
ことばカード
もし学ぶなら
おすすめの入り口
エヤック語プロジェクトのサイト(eyak.org)では、鳥・魚・けものなど分類別に単語を引けるオンライン辞書が公開されている。音声つきの教材もあるので、まずは「AwA'ahdah(ありがとう)」と「q'ahdi'lah(さようなら)」を耳で覚えるといい。
綴りに慣れたら、大文字の A・G・X・L がどの音かを確かめながら、サケや鳥の名前を声に出してみよう。
話し手の数は推計で、資料によって幅があります。音声は端末の合成音声で、話者による録音ではありません。