どこで、誰が話している?
アイルランド語は、ヨーロッパの西の端、アイルランド島で話されてきた言語だ。現地での名前は Gaeilge(ゲールゲ)。アイルランドの憲法は、この言語を「国語」であり第一公用語だと定めている。英語は第二公用語という位置づけになる。
ところが、実際の暮らしは逆だ。2022年の国勢調査では、3歳以上で「アイルランド語を話せる」と答えた人は約187万人、全体の約40%にのぼった。一方で、学校の授業以外で毎日話している人は約7万2,000人しかいない。「話せる」と「話している」のあいだに、大きな差がある言語なのである。
日常の言葉として残っているのは、おもに西海岸のドニゴール、ゴールウェイ、ケリーなどに点在するゲールタハト(Gaeltacht)と呼ばれる地域だ。方言はマンスター・コナハト・アルスターの大きく3つに分かれる。
どんな音がする?
いちばんの特徴は、子音が2種類ずつあることだ。舌の後ろを持ち上げる「広い(broad)」子音と、舌を上あごに近づける「細い(slender)」子音で、この違いで意味が変わる。
綴りと音のずれも大きい。bh や mh は「ヴ」や「ウ」に近い音になる。女性の名前 Siobhán が「シヴォーン」と読まれるのは、このためだ。「ありがとう」の Go raibh maith agat も、見た目よりずっと短く「ゴ・レヴ・マ・アガット」のように聞こえる。
どんな文字で書く?
いまはラテン文字で書く。ただし伝統的なアルファベットは 18文字で、j・k・q・v・w・x・y・z は外来語にしか出てこない。長い母音には「シーナ・ファダ(síneadh fada)」と呼ばれる鋭い記号をつけ、á・é・í・ó・ú と書く。
いちばん古い記録は、4世紀ごろの石柱に刻まれたオガム文字だ。縦の線に短い刻みを入れて文字を表す。20世紀の半ばまでは、アイルランド独特の書体(cló Gaelach)で印刷されるのがふつうだった。1950年代に標準語(An Caighdeán Oifigiúil)がまとめられ、綴りの簡略化とともに、ふつうのローマン体へと移っていった。
文法のクセ
語順は動詞が文の先頭にくる。そして、日本語の「はい」「いいえ」にあたる一語がない。質問の動詞を繰り返して、「ある」「ない」と答える。
もうひとつは、気持ちや体の状態を「自分の上にある」と表すことだ。「悲しい」は Tá brón orm、直訳すると「悲しみが私の上にある」。「おなかがすいた」も「空腹が私の上にある」と言う。orm は「上に(ar)」と「私」がくっついて一語になった形で、前置詞が人称ごとに変わる。
ウェールズ語と同じく、単語の頭の子音も入れ替わる。「猫」の cat は、「私の猫」では mo chat、「私たちの猫」では ár gcat になる。
この言語でしか言えない言葉
歴史をひとことで
アイルランド語は、ケルト系の言語のなかでも文字の記録がとくに古く、中世には修道院で多くの写本が書かれた。流れが変わったのは19世紀だ。1831年に始まった国の学校制度では英語で教えることが基本とされ、1840年代の大飢饉では、アイルランド語を話す人が多かった貧しい地域ほど、死と移民で大きく人が減った。
1893年、言語を守るための団体ゲール語連盟(Conradh na Gaeilge)が生まれ、のちに初代大統領となるダグラス・ハイドが会長を務めた。1922年に独立したあと、アイルランド語は学校の必修科目となり、1937年の憲法で第一公用語になった。
いま、この言語は
ユネスコの分類では「危険」。学校で全員が学ぶのに、家や町で使う人は少ないという状態が長く続いている。
それでも支えは増えてきた。1996年にアイルランド語のテレビ局 TG4 が開局し、2003年の公用語法で役所のサービスを受けられる権利が定められた。2007年にはEUの公用語になり、2022年からは他の公用語と同じ扱いになった。同じ2022年、北アイルランドでも公式に認める法律ができている。
ことばカード
もし学ぶなら
おすすめの入り口
学習者の多い言語なので、語学アプリにもアイルランド語のコースがある。辞書は国の機関が作るオンライン辞書 teanglann.ie が便利で、単語ごとに3つの方言の発音を聴き比べられる。
最初は、bh・mh の読み方と、広い母音(a・o・u)と細い母音(e・i)の区別から。そのうえで「〜が私の上にある」の言い方を覚えると、この言語の見ている世界が少しわかってくる。
話し手の数は推計で、資料によって幅があります。音声は端末の合成音声で、話者による録音ではありません。