ことばKOTOBA
ことばの図鑑 — アルメニア
Հայերեն

アルメニア語——1600年前にひとりが作った36文字

聖書を自分たちのことばで読むために、ひとりの修道士が文字を作った。親戚のいない語派、単語の上に乗る「?」、そして「あなたの痛みを私がもらう」という口ぐせ。

2026-10-14 / 言語と物語の図鑑 編集部

どこで
アルメニア
話し手
約530万人
系統
アルメニア語派
危機度
安全

どこで、誰が話している?

アルメニア語は、コーカサスの国アルメニアの公用語だ。話し手は約530万人。そのうち約370万人が東アルメニア語、約160万人が西アルメニア語を話すと見積もられている。キプロスやポーランド、ルーマニア、トルコなどでは少数言語として認められている。

東アルメニア語はアルメニア本国の標準語。西アルメニア語は、もとはいまのトルコ東部で話されていたことばで、20世紀はじめのジェノサイドのあと、中東・ヨーロッパ・アメリカへ散った人びとのあいだで受け継がれてきた。二つは、ある程度慣れればおたがいに通じる。

系統はインド・ヨーロッパ語族だが、アルメニア語派のメンバーはアルメニア語ひとつだけだ。英語やペルシア語とは遠い親戚にあたるが、すぐ近くに兄弟と呼べる言語はいない。

どんな音がする?

東アルメニア語の母音は6つ。子音は約30あり、「タ」にあたる音だけでも、のどを震わせるダ、息を出さないタ、息を強く吐くタʰの3つを別の文字で書き分ける。

おもしろいのは、西アルメニア語ではこの3つが2つにまとまり、しかも入れかわって聞こえることだ。東でタと読む文字 տ を、西ではダと読む。同じ綴りの単語でも、東と西で耳に届く音が違う。アクセントはたいてい最後の音節に置かれる。

どんな文字で書く?

書くのはアルメニア文字。左から右へ書き、大文字と小文字がある。アルメニア人は自分たちの文字を、最初の2文字の名前「アイプ」「ベン」をつなげてアイプベンと呼ぶ。英語の「アルファベット」がアルファとベータから来ているのと同じ発想だ。

もうひとつの特徴が疑問符だ。「?」は文の終わりに置かず、問いたい単語の母音の上に ՞ を乗せる。感嘆の ՜ も同じように、強めたい語の上につく。

Հայերեն「ハイェレン」。アルメニア語のこと。アルメニア人は自分たちを「ハイ」と呼ぶ

文法のクセ

まず、文法上の性がない。男性名詞・女性名詞の区別はなく、「彼」と「彼女」も同じ一語で言う。ヨーロッパの言語のなかでは少数派だ。

もうひとつは、冠詞が名詞のうしろにくっつくこと。「本」は գիրք(ギルク)、「その本」は գիրքը(ギルケ)と、語尾に -ը をつけて表す。格は古くは7つあったが、いまの口語ではいくつかが同じ形にまとまっている。

この言語でしか言えない言葉

ցավդ տանեմ
ツァヴト タネム
意味直訳すると「あなたの痛みを、私が持っていこう」。大切な人への思いやりを込めて、家族どうしでも、ときには初対面の相手にも、ごく日常的に口にする。道を尋ねただけのおばあさんや、タクシーの運転手から言われて驚いた、という旅行記も多い。
այբուբեն
アイプベン
意味「文字の一覧=アルファベット」のこと。最初の文字 Ա(アイプ)と2番目の Բ(ベン)の名前をつなげた一語で、ことば自体が自分たちの文字の名前でできている。

歴史をひとことで

アルメニア文字は405年ごろ、修道士で学者のメスロプ・マシュトツが作った。目的は、聖書をアルメニア人自身のことばで読めるようにすること。最初は36文字で、中世に Օ と Ֆ の2文字が加わり、20世紀の正書法改革では合字 և も1文字に数えるようになって、いまは39文字とされる。言い伝えでは、最初に書かれた文は旧約聖書『箴言』の「知恵と教えを知り、分別のことばを悟るため」だったという。

5世紀に訳された聖書は、現存する最古のアルメニア語の文章でもある。その後、古典期・中世期を経て、18世紀ごろから現代のアルメニア語へとつながっていく。首都エレバンの写本館マテナダランには、約2万3,000点の写本や巻物が収められている。

いま、この言語は

東アルメニア語はアルメニアの国語として、行政・教育・放送のすべてで使われていて、危機度は「安全」。2019年には「アルメニア文字の芸術とその文化的表現」がユネスコの無形文化遺産になった。2005年には文字の誕生から1,600年を記念して、マシュトツが眠る地の近くに39文字すべてを石で刻んだモニュメントも建てられた。

いっぽう西アルメニア語は、親から子への受け渡しが細くなっていて、Ethnologue は「危機にある」と分類している。各地のアルメニア人学校の多くは西アルメニア語で授業をしていて、ディアスポラの暮らしのなかで、ことばをつなぐ努力が続いている。

ことばカード

こんにちは
Բարև
バレヴ
ありがとう
Շնորհակալություն
シュノルハカルトゥユン
さようなら
Ցտեսություն
ツテストゥユン
はい
Այո
アヨ
いいえ
Ոչ
ヴォチ
アルメニア(国)
Հայաստան
ハヤスタン
1մեկ2երկու3երեք4չորս5հինգ

もし学ぶなら

おすすめの入り口

まずは東か西か、どちらから始めるかを決めたい。アルメニア本国を旅するなら東、ディアスポラの文学や音楽に触れたいなら西が近い。文字は39と多めだが、綴りと発音の対応は素直で、覚えれば声に出して読める。

文法に性がないぶん、入り口はやさしい。長い「シュノルハカルトゥユン」に手こずったら、アルメニアでは「メルシ」でも通じる。慣れてきたら、いつか「ツァヴト・タネム」と言える相手ができるといい。