どこで、誰が話している?
ラテン語を母語として育つ人は、いまはいない。Ethnologue はこの言語を「第二言語としてだけ使われる言語」に分類する。それでも「どこで」と聞かれれば答えはある。バチカンだ。ローマ教皇庁(聖座)の公式言語はラテン語で、公報はおもにラテン語で出る。ただし市国の日常はイタリア語で回っている。
もうひとつの答えは「ヨーロッパの学校」。イタリアのリチェオ・クラッシコなどではラテン語が必修で、ドイツでは年に約50万人が学ぶ。話す人はいないのに、学ぶ人は毎年数十万人いる。
どんな音がする?
古典期の発音は、いまの常識と少し違う。c はつねに「k」の音で、Cicero は「キケロー」であって「シセロ」ではない。v は「w」の音で、cavē(気をつけろ)は「カウェー」になる。
母音の長さでも意味が変わる。malum と書いて、a を短く言えば「悪」、長く伸ばして mālum と言えば「りんご」。綴りは同じで、声の長さだけが違う。教会式の発音はこれとは別で、e や i の前の c は「チ」、v は「ヴ」になる。
どんな文字で書く?
ラテン語が使った文字が、いま「ラテン文字」と呼ばれているものの元だ。もとはエトルリア文字、さらにギリシャ文字からきている。古典期の文字は21字。そこにギリシャ語の借用語を書くための Y と Z が加わって23字になった。
無かったのは J・U・W。I が「イ」と「ユ」、V が「ウ」と「ウェ」の両方を受けもち、J と U が別の字になったのは近代に入ってからだ。だから古い碑文では IVLIVS(ユリウス)のように、見慣れた名前が少し違う顔で並ぶ。
文法のクセ
名詞は語尾で役割を示す。puella(少女が)、puellam(少女を)、puellae(少女の)。格は基本6つ、変化の型は5種類、性は3つ。語尾が役割を言ってくれるので、語順はかなり自由だ。動詞を最後に置くのがふつうだが、強調したい語を前に出せる。
無いものもある。冠詞がなく、rēx は「王」「ある王」「その王」のどれにもなる。そして、「はい」「いいえ」の専用の単語がない。「戦っているか?」と聞かれたら、Pugnat(戦っている)と動詞をくり返して答える。ita(そのとおり)や sic(そのように)が代わりを務め、中世にはこの sic が「はい」の役に落ち着いた。イタリア語やスペイン語の sì は、ここから来ている。
この言語でしか言えない言葉
歴史をひとことで
出発点はローマの近く、ラティウム地方。現存するもっとも古い碑文は、ローマで見つかった紀元前600年ごろの石、ラピス・ニゲルとされる。紀元前75年ごろから紀元200年ごろまでが「古典ラテン語」で、キケロやカエサルの時代だ。
その裏で、人びとが日常で話していた「俗ラテン語」はゆっくり変わりつづけ、やがてスペイン語・ポルトガル語・フランス語・イタリア語・ルーマニア語などに分かれていった。いまロマンス諸語を母語とする人は、合わせて約9億人。ラテン語は消えたというより、名前を変えて増えたのだ。書きことばとしては、そのあとも学問と外交の共通語として生き、ニュートンの『プリンキピア』(1687年)もラテン語で書かれた。
いま、この言語は
母語話者という意味では消えている。けれど、使われていないわけではない。バチカン放送は2019年6月から、ラテン語の週刊ニュース『Hebdomada Papae』(教皇の一週間)を5分番組で流している。フィンランドの公共放送 Yle も1989年から2019年まで約30年、ラテン語ニュースを続けた。2012年には教皇庁ラテン語アカデミーができ、いまの時代のラテン語を育てる役目を負った。
ネットにも場所がある。ラテン語版ウィキペディア「Vicipaedia」は2002年に始まり、記事は約14万本。方針は「Noli fingere!(でっち上げるな)」で、古典に無い概念は近代ラテン語の資料から語を探す。生物の学名、医学や法律の用語にも、この言語は毎日ひそんでいる。
ことばカード
もし学ぶなら
おすすめの入り口
定番はハンス・エアベアの Lingua Latina per se illustrata(原型は1955年)。第1巻『Familia Romana』は35章、著者名以外はぜんぶラテン語で、辞書なしで読み進めるうちに文法が身につく作りだ。耳なら『Hebdomada Papae』。毎週5分、原稿つきで聴ける。
最初に決めたいのは、古典式で読むか教会式で読むか。c と v の音が変わるので、どちらかに決めてから始めるとぶれない。
話し手の数は推計で、資料によって幅があります。音声は端末の合成音声で、話者による録音ではありません。