どこで、誰が話している?
宮古語は、沖縄本島から南西へ約300km、宮古列島の島々で話されてきたことばだ。宮古島のほか、池間島・伊良部島・来間島・大神島・多良間島などに、それぞれの言い方がある。地元では「ミャークフツ」(宮古の口=ことば)と呼ばれる。
日琉語族のなかでも、八重山語・与那国語とともに南琉球のグループに入る。沖縄本島の沖縄語とは同じ「琉球のことば」でも枝が違い、会話はなかなか通じない。それどころか島どうしの差も大きく、話し手の多い宮古島の平良のことばでさえ、伊良部島や多良間島では通じにくいとされる。多良間のことばは、別の言語として扱う研究者もいる。
民族としての人口は約6万6,000人(2020年)と見積もられている。ただ、そのうち何人が流暢に話せるのかははっきりしない。1970年ごろより後に生まれた世代は、歌や祭りの場をのぞけば、ほとんど日本語で暮らしているという。
どんな音がする?
宮古語のいちばんの特徴は、子音だけで音節ができることだ。日本語では「ん」くらいしかできない芸当を、m・v・f・s などが当たり前にこなす。「人」はpstu(プストゥ)、「白い」の語幹は ssu。どちらも、最初の子音のあとに母音を挟まない。
極めつけは大神島のことばだ。「櫛」はff、「乳」はkss、「ほこり」や「巣」はss。声帯をふるわせる音がひとつも入らない単語である。母音を中心に組み立てるという、多くの言語の常識から外れている。大神のことばは子音も9つしかなく、有声と無声の区別もない。
母音にも、日本語にない音がある。「イ」と「ウ」のあいだのような、舌先を歯ぐきに近づけて出す母音で、研究では ï と書かれる。ざらっとした擦れる音が混じり、日本語の話し手には「ス」や「ズ」に聞こえやすい。
どんな文字で書く?
宮古語は、日本語と同じひらがなとカタカナで書かれている。「ありがとう」なら「たんでぃがーたんでぃ」だ。
ただ、かなは「子音+母音」をひとまとまりにした文字なので、pstu や ff のような子音だけの音節は書き表しにくい。研究の場ではローマ字や音声記号が使われ、一般向けにはかなに小書きの字をまぜて近づけることが多い。同じ単語でも、本や地域によって書き方が揺れる。
文法のクセ
語順は日本語と同じ主語・目的語・動詞で、助詞にあたるものもある。そのうえで、動詞の活用には日本語が手放した古い区別が残っている。宮古語は、古い日本語にあった四段・上一段・上二段・下二段の活用の違いをはっきり保っているとされる。日本語では二段活用が江戸時代ごろまでに一段に合流したので、宮古語は古文の教科書で見た区別を、いまも話し言葉で使っていることになる。
人を指すことばも日本語とはずいぶん違う。「わたし」はばん、「あなた」はうんじゅ。「おじい」はしゅう、「おばあ」はんまと言う。
この言語でしか言えない言葉
歴史をひとことで
宮古の島々は、のちに琉球王国の支配下に入った。1609年に薩摩藩が琉球に侵攻すると、王府の財政は苦しくなり、1637年から宮古と八重山にだけ人頭税が課された。15歳から50歳までの男女ひとりひとりに税をかける制度で、男性は主に粟を、女性は宮古上布などの織物を納めた。
この税は約260年続いた。1893年、宮古の島民が東京へ出向いて税の軽減と島の政治の改革を求める請願書を出し、10年後の1903年にようやく廃止された。重い税の時代を歌った民謡や、廃止を祝う歌は、いまも宮古のことばで歌い継がれている。
1879年に沖縄県が置かれると、学校では日本語で教えることになり、宮古のことばは家と集落の中へ押し戻されていった。
いま、この言語は
2009年、ユネスコは日本の消滅危機言語8つのひとつとして宮古語を挙げ、「危険」に分類した。沖縄語と同じ段階だが、島ごとに話し方が大きく違うため、ひとつの「宮古語」として守るのは簡単ではない。島ひとつ、集落ひとつごとに、記録を急ぐ必要がある。
研究者は大神島をはじめ島ごとのことばを調べ、記録を残してきた。暮らしは日本語が主になったいまも、民謡「あやぐ」や祭りの歌の中で、宮古のことばは響いている。
ことばカード
もし学ぶなら
おすすめの入り口
まずは「たんでぃがーたんでぃ」と「んみゃーち」を覚えること。数え方の「ぴてぃつ」のように、日本語の h が p で残っている単語を探すと、古い日本語との距離が見えてくる。
沖縄県が公開している『しまくとぅば読本』には、那覇や石垣と並んで宮古のことばも載っている。同じ県の中で、ことばがどれほど違うかを見比べられる。
話し手の数は推計で、資料によって幅があります。音声は端末の合成音声で、話者による録音ではありません。