ことばの図鑑 — ペルー・ボリビア・エクアドル
Runa Simi

ケチュア語——インカ帝国の言葉は、まだ生きている

インカ帝国が広い領土をまとめるのに使ったことばは、帝国が滅んで500年近くたったいまも、アンデスの村と町で話されている。

2026-09-17 / 言語図鑑 編集部

どこで
ペルー・ボリビア・エクアドル
話し手
約800万人
系統
ケチュア語族
危機度
脆弱

どこで、誰が話している?

ケチュア語はアンデス山脈の言葉だ。ペルー、ボリビア、エクアドルを中心に、コロンビア、チリ、アルゼンチンの一部でも話される。話し手は合わせて約700万〜800万人とされ、アメリカ大陸の先住民言語ではいちばん大きい。

実際には一つの言語というより、互いに通じにくい変種を含む「ケチュア語族」である。ペルーの2017年国勢調査では、ケチュア語を母語とする人は約374万人、5歳以上の人口の約13.9%だった。話し手自身は Runa Simi(ルナ・シミ)、「人のことば」と呼ぶ。ペルーは1975年、エクアドルとボリビアも2000年代の新しい憲法で公用語に加えた。

どんな音がする?

クスコなど南部の変種では、母音は基本的に a・i・u の3つだけ。そのかわり子音が細かい。「カ」の仲間だけでも、ふつうの k、のどの奥で出す q、息を強く出す kh、息をため込んではじく k' がある。

q の近くでは i と u が「エ」「オ」寄りに聞こえる。だから qusqu(クスコ)は「コスコ」に近い音になる。日本語話者には、k と q を聞き分けるのが最初の壁だ。

どんな文字で書く?

インカ帝国には、ひもの結び目で数や記録を残すキープがあった。ただ、ことばそのものを書き表していたかどうかは、まだ定説がない。

いまはラテン文字で書く。スペイン人が来てから使われはじめ、1560年にはドミンゴ・デ・サント・トマスの文法書が出ている。1975年以降、k と q を書き分ける正書法が整えられたが、母音を3つで書くか5つで書くかの議論はいまも続く。

Parashanmi.「雨が降っている(自分の目で見た)」。para(雨が降る)+ sha(〜している)+ n(3人称)+ mi(見た)

文法のクセ

語順は日本語と同じ主語・目的語・動詞で、語尾をどんどん足していく。いちばんの特徴は、話の情報源を語尾で言い分けることだ。クスコのケチュア語では、同じ「雨が降っている」でも、自分で見たなら -mi、人から聞いたなら -si、たぶんそうだと推し量るなら -chá をつける。

「わたしたち」も2つある。相手を含む ñuqanchik と、相手を含まない ñuqayku だ。話すたびに「どうやって知ったか」「あなたは入るか」を選ぶことになる。

この言語でしか言えない言葉

Ayni
アイニ
意味「今日はあなたのために、明日はわたしのために」という助け合い。畑仕事や家づくりを手伝ってもらったら、同じ働きで返す。「互酬」と訳されるが、人どうしだけでなく大地との関係まで含む、暮らしの約束ごとである。
Pacha
パチャ
意味「場所」「大地」「世界」、そして「時」。空間と時間をひとつの語で言う。大地の母を指す「パチャママ」の pacha もこれだ。

歴史をひとことで

ケチュア語はインカ帝国より古く、ペルー中部あたりで生まれたと考えられている。15世紀に広がったインカ帝国が、広い領土をまとめる共通語として使い、アンデスじゅうに行きわたった。

スペインの征服後も、教会は布教にケチュア語を使った。1584年、第3回リマ公会議の決定にもとづいて作られた『ドクトリナ・クリスティアナ』は、ケチュア語とアイマラ語を載せた南米で最初の印刷本である。流れが変わったのは1780年に始まるトゥパク・アマル2世の反乱のあとで、植民地当局はケチュア語の使用を禁じた。英語の condor(コンドル)puma(ピューマ)llama(リャマ)quinoa(キヌア)はケチュア語から来ている。

いま、この言語は

話し手の数は多いが、ユネスコの分類では「脆弱」。都市へ移った家庭ではスペイン語に切り替わりやすく、子どもに受け渡されにくいからだ。地方に話し手が多く、都市では家の外で使う場面が少ない。

一方で、先住民の子どもが通う学校での二言語教育や、ケチュア語のラジオ番組、ケチュア語で歌う音楽など、ことばを外に出す動きもある。

ことばカード

元気?(あいさつ)
Allillanchu?
アリリャンチュ
ありがとう
Sulpayki
スルパイキ
さようなら(また会う日まで)
Tupananchikkama
トゥパナンチッカマ
はい
Arí
アリ
いいえ
Mana
マナ
1huk2iskay3kimsa4tawa5pichqa

綴りは地域と正書法で揺れがあり、3は kinsa、5は pisqa とも書く。

もし学ぶなら

おすすめの入り口

まずどの変種を学ぶかを決める。旅行者や教材が多いのはクスコ、ボリビアの変種が近い「南部ケチュア語」だ。テキサス大学オースティン校の無料教材 Quechua Tinkuy から始めるのがいい。

文法は、情報源の語尾 -mi/-si/-chá から覚えると面白さがわかる。日本語と語順が同じなので、語尾を積み上げる感覚には意外となじみやすい。