どこで、誰が話している?
八重山語は、沖縄本島から南西へ約400km、台湾にほど近い八重山列島で話されてきたことばだ。石垣島・竹富島・小浜島・黒島・新城島・鳩間島・西表島・波照間島に、それぞれの言い方がある。地元では「ヤイマムニ」(八重山のことば)と呼ばれる。
宮古語・与那国語とともに、日琉語族の南琉球のグループに入る。ただし与那国島のことばは別の言語として数えられ、八重山語には含めないのがふつうだ。島どうしの差は大きく、たとえば「ようこそ」は石垣島では「おーりとーり」、小浜島や黒島では「おーりたぽーり」になる。島が違えば会話は通じにくいとされる。
民族としての人口は約4万7,600人(2000年)と見積もられている。そのうち家でこのことばを話す人は約7,000〜1万人とする推計がある。60歳より下の世代は、歌や祭りをのぞけばほとんど使わないという。
どんな音がする?
耳でいちばんわかりやすいのは、日本語のハ行がpで出てくることだ。「花」はぱな、「浜」はぱま、「骨」はぷに。日本語のハ行も、ずっと昔はpに近い音だったと考えられている。八重山語は、日本語が途中で変えた音を、そのまま持ち続けてきたことになる。
母音は、石垣のことばで6つとされる。日本語の5つに、「イ」と「ウ」のあいだのような中舌の母音が加わる。研究では ï と書かれ、擦れるような音をともなって発音される。島によっては7つ、あるいは5つにまとまっていて、母音の数さえ島ごとに違う。南の端の波照間島のことばは、息を強く吐く音がとくにはっきりしている。
どんな文字で書く?
八重山語は、日本語と同じひらがなとカタカナで書かれる。ただ、中舌母音のように日本語にない音があるため、決まった書き方はまだ固まっていない。研究ではローマ字や音声記号が使われ、一般向けには小書きの字などで工夫して近づける。沖縄県は、しまくとぅばをかなで書くための目安を公開している。
文法のクセ
語順は日本語と同じ主語・目的語・動詞で、助詞にあたるものもある。ただ、動詞の活用は島ごとにかなり違う。鳩間島のことばは活用がもっとも簡単だとされる一方、波照間島のことばは格を表す助詞が9つ、助動詞が11あると報告されている。
疑問の言い方にも違いがある。「誰が」「何を」のような疑問詞を使う文で、日本語なら「か」を使うところに、八重山語では「どぅ」をつけて問う形が使われる。
この言語でしか言えない言葉
歴史をひとことで
八重山の島々は、のちに琉球王国の支配下に入った。1609年に薩摩藩が琉球に侵攻すると王府の財政は苦しくなり、1637年から宮古と八重山にだけ人頭税が課された。15歳から50歳までの男女ひとりひとりにかかる税で、1903年に廃止されるまで約260年続いた。
この時代の記憶は、八重山のことばの歌に残っている。竹富島の「安里屋ユンタ」は、田植えなどの作業で歌われた労働歌で、役人の求愛を断った実在の女性クヤマの気丈さを歌う。いまでは沖縄を代表する民謡のひとつになった。
1879年に沖縄県が置かれると、学校では日本語で教えることになり、八重山のことばは「方言」として家と集落の中へ押し戻されていった。
いま、この言語は
2009年、ユネスコは日本の消滅危機言語8つを挙げ、八重山語を与那国語とともに「重大な危険」に分類した。アイヌ語の「極めて深刻」に次ぐ段階で、沖縄語や宮古語の「危険」よりひとつ重い。親から子へことばが受け渡されなくなっている、という判定である。
それでも、ことばは歌の中で生きている。石垣島の「とぅばらーま」のように八重山の歌は今も歌い継がれ、学校の授業や地域の講座、ラジオなどで、島ごとのことばを伝える取り組みが続いている。
ことばカード
もし学ぶなら
おすすめの入り口
まずは「みーふぁいゆー」と「おーりとーり」を覚えること。石垣島を歩けば、看板や店の名前にこのことばが見つかる。次に、日本語のハ行の単語をpに置きかえて、八重山ではどう言うかを探してみると、古い日本語の音が見えてくる。
沖縄県の普及資料『やいまむに(八重山ことば)』には、あいさつや身近な単語がまとめられている。「安里屋ユンタ」を八重山のことばの歌詞で聴いてみるのも、いい入り口だ。
話し手の数は推計で、資料によって幅があります。音声は端末の合成音声で、話者による録音ではありません。