どこで、誰が話している?
ヤガーン語は、南米大陸のいちばん南、ティエラ・デル・フエゴとその南の島々で話されてきた言語だ。いまの国境でいえばチリとアルゼンチンにまたがり、ホーン岬にも近い。人の住む土地としては、世界でもっとも南の端にあたる。
話していたのはヤガン(ヤマナ)の人々。自分たちを yámana(ヤマナ)と呼び、これは「人」という意味だ。島から島へカヌーで移りながら、男はアシカを狩り、女は海にもぐって貝をとって暮らしてきた。
2022年2月16日、最後の母語話者クリスティーナ・カルデロンが93歳で亡くなった。いまこの言語を生まれたときから話す人はいない。けれど、ヤガンの人々はいまもいて、チリでは2017年の国勢調査で約1,600人が名のっている。
どんな音がする?
子音には、舌先をそり返らせて出す r(rh と書く)、「シュ」にあたる š、のどの奥でこする x などがある。母音は a・e・i・o・u のほかに、「ア」と「エ」のあいだの æ、力の抜けた曖昧な母音があり、ぜんぶで約7つ。アクセントのある音節では、母音が長くのびる。
水は síma、カヌーは ánan。どちらも日本語の耳で「シーマ」「アーナン」と真似しやすい。
どんな文字で書く?
もともと文字はなく、書き留めたのはヨーロッパから来た人たちだった。19世紀の宣教師トーマス・ブリッジズは、英語の音声記号をもとにした独自の綴りで何万もの語を記録している。
いまはラテン文字で書く。チリで公式に使われている字母は a, æ, ch, e, ö, f, h, i, j, k, l, m, n, o, p, r, rh, s, š, t, u, w, x。ただし全員が合意した書き方はまだなく、クリスティーナの孫クリスティーナ・サラガが、祖母の話しぶりをもとにした綴りを提案し、広く使われている。
地名にもヤガーン語が残る。ビーグル水道は Onashaga、ナバリノ島は Wala、島の町プエルト・ウィリアムズは Hupuswea だ。
文法のクセ
名詞や代名詞に、単数・複数のほかに「ふたり」専用の形(双数)がある。「私」「私たちふたり」「私たちみんな」を言い分けるわけだ。
もうひとつは、動詞にたくさんの部品をつなぐこと。「一度だけ」「二度」「何度も」といった回数まで、接尾辞で動詞にくっつけて表す。前には受け身や「〜させる」の部品がつく。こうして一語がどんどん長くなる。
この言語でしか言えない言葉
この一語は、部品に分けるとしくみが見える。ma-(自分を/たがいに)、ihlapi(次にどうしていいかわからない)、-ata(〜するに至る)、そして-apai(ふたりで)。「ふたり」の形が、たがいに向き合う気まずさをつくっているのだ。
歴史をひとことで
19世紀のなかば、ヨーロッパ人が入ってきたころのヤガンの人々は約3,000人と見積もられている。1830年、イギリスの測量船ビーグル号の艦長フィッツロイは、約14歳の少年ジェミー・ボタンをイギリスへ連れ帰った。のちにこの船に乗ったダーウィンも、ヤガンの人々と出会っている。
1871年、ブリッジズはいまのウシュアイアに伝道所を開き、長い年月をかけて文法と約3万語のヤガーン語・英語辞書をまとめた。「ヤガン」という呼び名も、彼がマレー水道のあたりを指す土地の名 Yahga からつけたものだ。けれど、持ちこまれた病気や、アザラシ猟・捕鯨で食べものが減ったことで、人々の数は急速に減っていく。辞書の原稿が本として出版されたのは、1933年のことだ。
いま、この言語は
最後の話し手クリスティーナ・カルデロンは、ナバリノ島のビジャ・ウキカに暮らし、「アブエラ(おばあちゃん)・クリスティーナ」と呼ばれていた。孫のサラガと、2005年に昔話の本、2010年には子どもの絵を添えた小さな辞書『Yágankuta』をつくっている。ユネスコの「生きた人間の宝」にも選ばれた。
彼女が亡くなったあとも、学び直しは続いている。2019年にはことばの巣(幼い子にことばを伝える場)の計画が立ち、プエルト・ウィリアムズの学校では2023年、はじめてヤガーン語が選択科目になった。19世紀の研究者が残したノートを読み解いて辞書に加える作業も進んでいる。「学校では、ぼくらの民族は滅びたと習って育った」という住民の声は、そこから取り戻そうとする動きの出発点になっている。
ことばカード
もし学ぶなら
おすすめの入り口
チリ教育省の先住民言語教育のページで、ヤガーン語の授業用マニュアル(PDF)が公開されている。まずは地名から入るといい。Onashaga(ビーグル水道)や Wala(ナバリノ島)は、地図を見ながら覚えられる。
そのうえで mamihlapinatapai を部品に分けて読んでみよう。「ふたり」の形 -apai がどこにつくのかがわかると、この言語の組み立て方が見えてくる。
話し手の数は推計で、資料によって幅があります。音声は端末の合成音声で、話者による録音ではありません。