あの一文は、ウァインライヒの言葉ではない
言語学の入門書でいちばん引かれる一文は、たぶんこれだ。「言語とは、陸軍と海軍を持つ方言である」。イディッシュ語研究者のマックス・ウァインライヒが1945年1月5日、YIVO(イディッシュ科学研究所)の年次会議での講演で紹介し、同年の機関誌『YIVO-bleter』第25巻に載った。
おもしろいのは、これがウァインライヒ自身の考案ではないことだ。彼はこの言い回しを、前年まで続けた連続講義に来ていた一人の聴講者——ブロンクスの高校教師だったという——の発言として書きとめている。イディッシュ語には歴史があり、学問のことばにもなりうる。そう知ったときに出た一言だった。専門家ではなく、話者の側から出てきた定義なのである。
この一文が生き延びたのは、身も蓋もないほど当たっているからだ。方言と言語の境目は、通じるかどうかよりも、その集団が国家を持っているかどうかで決まってしまうことが多い。
通じるのに「別の言語」になる
まず、よく通じるのに別々の言語として数えられている例から。
| ケース | 言語学から見ると | 現実の扱い |
|---|---|---|
| ヒンディー語/ウルドゥー語 | くだけた話しことばはほぼ同一(ヒンドゥスターニー語) | インドとパキスタンの別々の言語。文字はデーヴァナーガリーとペルシア文字 |
| セルビア語/クロアチア語/ボスニア語/モンテネグロ語 | 相互に問題なく通じる一つの多中心言語 | 4か国の4つの公用語 |
| モルドバ語/ルーマニア語 | 差はほぼない | モルドバは2023年に呼び名を「ルーマニア語」へ統一 |
ヒンディー語とウルドゥー語は、市場で値段を交渉するぶんにはまったく同じことばだ。分かれるのは書きことばで、ヒンディー語はサンスクリット由来の語を、ウルドゥー語はペルシア語・アラビア語由来の語を上の層に積む。音声で聞けば一つ、紙に書くと二つになる言語である。
旧ユーゴスラビアの例は、分裂の過程がそのまま記録されている。2017年3月30日にサラエボで「共通言語に関する宣言」が発表され、4か国の作家・研究者ら約200人が署名した。「これは一つの共通語であり、その事実は各国の言語名を否定しない」という主旨で、その後の1年で署名は1万人を超えたと報じられている。
モルドバの場合は、逆方向に線を引き直した。2023年3月、議会が国家語の呼称を「モルドバ語」から「ルーマニア語」に改める法律を可決した。2013年の憲法裁判所判断(独立宣言が憲法本文に優先し、そこには「ルーマニア語」とある)を法律に反映させたものだ。言語そのものは何も変わっていない。変わったのは名前だけである。
通じないのに「同じ言語の方言」になる
逆のパターンもある。中国語の方言(fāngyán)がその代表だ。北京のことばと広東のことばは、話しことばとしては通じない。それでも中国語学の伝統では、どちらも漢語という一つの言語の「方言」として扱われる。英語の dialect とは前提が違うので、研究者のヴィクター・メアは1991年の論文で、方言の直訳として topolect(土地の変種)という語を提案した。「同じ文字と同じ書きことばの伝統を共有している」という結びつきの強さを、dialect という語では表しきれないからである。(広東語と中国語(普通話)は、この星図では別の星に置いてある。)
アラビア語も似た構造を持つ。モロッコの話しことばと湾岸のそれは、そのままではかなり通じにくいと言われる。それでも全体をまとめているのは、正則アラビア語という書きことばの屋根だ。こうした「上に共通の標準語が乗っている状態」を、社会言語学ではダッハシュプラーヘ(屋根言語)と呼ぶ。
言語学の側にも、道具はある
では言語学はお手上げなのかというと、そうでもない。ハインツ・クロースが1967年に提案した二つの物差しがよく使われる。
| 物差し | 見るもの | 例 |
|---|---|---|
| アプシュタント言語(距離) | ことばの構造そのものが、まわりと十分に離れているか | バスク語。近縁とされる言語が見つかっていない |
| アウスバウ言語(造成) | 辞書・正書法・教育・行政でどれだけ独立に整備されたか | ノルウェー語とデンマーク語のように、近いまま別々に育ったもの |
この二つを分けておくと、議論が整理される。バスク語が言語なのは距離のためで、政治は関係ない(→ バスク語の図鑑)。一方、セルビア語とクロアチア語が別なのは距離ではなく造成のためだ、と言える。「言語である理由」は一種類ではない、というのがクロースの指摘だった。
で、日本語はどうか
日本でも、この線引きは動いている。ユネスコが2009年に公表した『消滅の危機にある世界の言語地図』は、日本の8つのことばを危機言語として挙げた。アイヌ語(極めて深刻)、与那国・八重山(重大な危機)、八丈・奄美・国頭・沖縄・宮古(危険)である。ここで沖縄や宮古は、日本語の「方言」ではなく、それぞれ独立した「言語」として数えられている。
国内では長く「琉球方言」と呼ばれてきたものが、国際的な危機言語のリストでは別の言語になる。どちらが正しいというより、数え方の枠組みが違えば答えも変わるということだ。話し手の側から見れば、名前が「方言」であるあいだは保存の対象になりにくく、「言語」になった途端に対策の対象になる、という現実的な差もある。
ちなみに相互理解という基準だけで言えば、与那国のことばと東京のことばは、初対面では通じない。にもかかわらず同じ国の中にあるので、境目の議論はいつも 政治的な色を帯びる。冒頭の一文は、遠い国の話ではない。
言語や文字の分類は研究者によって幅があります。本文は代表的な整理にもとづく概説です。