文字が進む向きは、4方向ある
いま読んでいるこの行は、左から右へ進み、次の行は一段下がる。あたりまえに感じるが、これは世界共通の作法ではない。文字の進む向きは左→右・右→左・上→下・下→上の4通りあり、さらに「行がどちら側へ送られるか」が別にある。向きは、文字の方向と行の方向、2つの軸で決まる。
やっかいなのは、この2つが独立して動くことだ。同じ「上から下」でも、行が右へ進む文字と左へ進む文字がある。
右から書く文字——いまも約12の体系が使われている
右から左へ書く文字は、過去のものではない。W3C(ウェブ標準の団体)の一覧では、現役で右横書きに使われる文字体系は約12、それで書かれる言語は約215にのぼる。うちアラビア文字だけで約189言語をカバーする。
| 文字 | 主に書く言語 |
|---|---|
| アラビア文字 | アラビア語・ペルシア語・ウルドゥー語 ほか |
| ヘブライ文字 | ヘブライ語・イディッシュ語 |
| ターナ文字 | ディベヒ語(モルディブ) |
| ンコ文字 | マンディング諸語(1949年、ソロマナ・カンテが考案) |
おもしろいのは、右から書く言語でも数字だけは左から右へ書くことだ。アラビア語の文章に「2026」と出てくれば、その4桁の中だけは西欧と同じ順に並ぶ。一行に逆向きの流れが同居するので、これを「双方向テキスト」と呼ぶ。
ウェブやアプリでこれが破綻しないのは、Unicodeが双方向アルゴリズム(UAX #9)という規格を持っているからだ。文字ごとに「強く右向き」「強く左向き」「弱い(数字など)」という性質を決め、記憶した順序と画面に並べる順序を計算で結び直している。ヘブライ語の図鑑でも、この「右から始まる」感覚には触れた。
縦に書く文字——モンゴル文字だけが左へ進む
縦書きは漢字文化圏の専売ではないが、数は多くない。漢字・かな・ハングルの縦書きは上から下へ書き、行は右から左へ送る。本を右のページから読み始めるのは、この行送りの結果だ。
ところが、伝統的なモンゴル文字は上から下へ書いて、行を左から右へ送る。縦書きなのに行送りが逆という、世界でもほぼ唯一の型だ。古ウイグル文字とその子孫(モンゴル文字・オイラト文字・満洲文字など)だけがこの並びを持つとされる。
理由は借用のしかたにある。もとのソグド文字は右から左へ書く横書きだった。ウイグル人が中国の縦書きに合わせるため、文字の形はそのままに紙のほうを90度回した。右から左だった流れは上から下になり、行送りは左から右になった。世界でいちばん珍しい向きは、回転の副産物である。モンゴル語は1946年以降キリル文字を公用としているが、中国の内モンゴル自治区では縦のモンゴル文字がいまも使われている。
下から書く文字、行ごとに折り返す文字
残りの2方向も実在する。フィリピン・ミンドロ島のマンギャンの人々が使うハヌノオ文字は、下から上へ書き、行は左から右へ送る。竹にナイフの先で刻むため、刃を体の外へ向かって走らせるのが自然で、その結果として上向きになったと説明される。
行ごとに向きを入れ替える書き方もあった。ブストロフェドンという。ギリシャ語で「牛が畑を耕すように折り返す」の意で、紀元前6〜5世紀ごろの古代ギリシャの碑文に多く見られる。1行目は右から左、2行目は左から右と交互に進み、文字そのものも行ごとに左右反転する。目線が端で折り返さずにすむので読むぶんには合理的だが、定着はせず、ギリシャ文字はやがて左から右に落ち着いた。
向きが自由すぎて目印が要る例もある。古代エジプトのヒエログリフは左右どちらからでも、縦にも書けた。そこで、人や鳥や動物の形をした文字はかならず行の始まりのほうを向くという約束があった。読み手は顔の向きを見て、どちらから読むかを決める。文字の中に、読む向きの説明書が埋まっていたわけだ。
で、日本語はどうか
日本語は、いまも縦と横を日常的に使い分ける数少ない言語だ。小説や新聞は縦、ウェブや伝票は横。同じ本の中で本文が縦、図表だけ横ということも珍しくない。
その横書きの向きが定まったのは、意外なほど最近だ。戦前の看板や広告には右から左へ並ぶ文字が多かった。ただし扁額や石碑の題字は、右横書きというより「1行1文字の縦書き」と見るのが通例で、縦書きの規範の延長にあった。政策が動いたのは1942年7月、国語審議会が左横書きを本則とする答申を出したときだが、閣議に提案されないまま終わっている。
実際に切り替わったのは戦後だ。1946年1月1日に読売新聞が見出しを左横書きにし、1948年には日本経済新聞を除く各紙が続き、その日経も1950年9月に切り替えた。行政文書は1951〜52年の「公用文作成の要領」で左横書きが推奨される。いま何も考えずに左から右へ書いているのは、たかだか約八十年の習慣である。
言語や文字の分類は研究者によって幅があります。本文は代表的な整理にもとづく概説です。