「パン」は、借りたまま四百年ここにいる
日本語の「パン」は、英語の bread ともドイツ語の Brot とも似ていない。もとはポルトガル語の pão で、さらにさかのぼるとラテン語の panis に行き着く。16世紀、ポルトガル船とともに来た宣教師たちが持ち込んだ語が、そのまま日本語の日用語として居ついた。
同じ時期に入った南蛮由来の語は少なくない。カステラ(イベリア半島のカスティーリャ王国の名から)、タバコ(tabaco)、ボタン(botão)、カルタ(carta)、金平糖(confeito)。「てんぷら」もこの系統とされるが、もとの語が何だったかについては諸説ある。
次に来たのがオランダ語だ。江戸時代に入ると、長崎の出島を窓口にして ガラス(glas)、コーヒー(koffie)、ランドセル(ransel=背嚢)、ピンセット、カルテが入ってくる。医学や理科の用語にオランダ語由来が多いのは、蘭学がその入口だったからである。
おもしろいのは、どれも「借り物だ」という感覚がすっかり抜けていることだ。借用語は、うまく根づくと出自を忘れられる。
どれだけ借りるかは、言語によって桁が違う
マックス・プランク研究所が公開するWorld Loanword Database(WOLD、2009年)は、世界41言語について、基礎的な語彙のひとつひとつが借用語かどうかを調べたものだ。
結果は、幅がやけに広い。スロバキアで話されるセリツェ・ロマニ語は約6割が借用語。ベルベル系のタリフィト語、ルーマニア語、英語も4割前後という高さだった。いっぽう標準中国語は約1〜2%で、調査中もっとも低い。
差を作るのは語彙の中身より、話し手の置かれ方である。日常的に二つの言語を使う少数言語ほどよく借りる。「自分たちの言葉が標準だ」という位置にある言語は、あまり借りない。
英語が借用語だらけなのは歴史のせいだ。1973年の Finkenstaedt と Wolff による辞書調査(約8万語)では、フランス語由来が約28%、ラテン語由来が約28%、古英語・古ノルド語・オランダ語などゲルマン系が約25%。自前の語は、すでに少数派になっている。
音を借りるか、意味を借りるか
借り方には大きく2通りある。音をそのまま写す音訳と、意味を分解して自前の語で組み直す翻訳借用(なぞり訳)だ。
| 方式 | やること | 例 |
|---|---|---|
| 音訳 | もとの音を写す | パン(pão)/沙发 shāfā(sofa)/咖啡 kāfēi(coffee) |
| 翻訳借用 | 意味を割って自前の語で組む | 热狗(hot dog)/电脑=電+脳(computer) |
| 混合 | 音と意味を両取りする | 幽默 yōumò(humour。林語堂による訳語) |
日本語はカタカナという専用の受け皿を持っているので、音訳がとにかく安い。中国語は漢字しか使わないため、音で写すと字面に余計な意味がついてくる。だから翻訳借用のほうへ寄りやすい。文字の型が、借り方そのものを決めているわけだ。
借りない、という選択もある
アイスランド語は、外から語を入れる代わりに、古い語根で新語を作る方針を長く続けている。1964年にアイスランド大学が最初の計算機を導入したとき、そのために作られた語が tölva。tala(数)と völva(予言する巫女)を合わせた語で、「数を告げる者」という発想である。ウェブブラウザは vafri(さまよう、から)、ポッドキャストは hlaðvarp。
これは気質の話ではなく、制度の話でもある。1952年に新語委員会(Nýyrðanefnd)、1964年にアイスランド語評議会が置かれ、新しい概念が来るたびに語を作ってきた。借りないという選択には、それを支える人手が要る。
で、日本語はどうか——借りて、貸してもいる
国立国語研究所が1956年の雑誌を対象に行った語彙調査では、異なり語数のうち外来語は約9.8%だった。同じ方式による1994年の調査では約33.8%。約40年で3倍を超えている。ただし延べ語数で見ると約2.9%から約12.3%で、「種類は増えたが、使われる回数ではまだ和語と漢語が中心」という形になる。
いっぽうで、日本語は貸してもいる。英語の tycoon は「大君」で、1857年ごろ将軍の称号として英語に入り、1861年にはリンカーンを指す語として使われた記録がある。honcho は「班長」、rickshaw は「人力車」、skosh は「少し」から。
もっと規模が大きいのは漢語のほうだ。明治期の日本が西洋の概念を訳すために作った「社会」「経済」「哲学」「科学」といった語は、日本へ留学した中国の学生や翻訳書を通じて中国語に入っていった。漢字を借りて作った語が、漢字のふるさとへ返っていったことになる。
言語や文字の分類は研究者によって幅があります。本文は代表的な整理にもとづく概説です。