「I」がないと文にならない言語は、少数派だ
英語では Went to the movies yesterday. と言うと、日記の走り書きのように聞こえる。ふつうは I went と、主語の I を立てなければならない。日本語なら「昨日、映画を見た」で何の問題もない。誰が見たのかは、話の流れでわかる。
どちらが世界の多数派なのか。言語の特徴を地図にした WALS(世界言語構造地図)は、約711の言語を調べて、主語の代名詞の扱いを6つの型に分けている。
| 型 | 言語数 | 例 |
|---|---|---|
| 主語の代名詞をふつう必ず置く | 82 | 英語など |
| 動詞につく語尾が主語を示す | 437 | スペイン語など |
| 主語を示す接語(くっつく小さな語)が文中を動く | 32 | — |
| 代名詞が名詞の主語とは別の位置に来る | 67 | — |
| 主語の代名詞をよく省く | 61 | 日本語など |
| 混合型 | 32 | — |
英語のように主語を必ず置く言語は、約711のうち82しかない。WALS によれば、こうした言語は北ヨーロッパと西アフリカにとくに多い。いちばん多いのは、動詞の形そのものが主語を表す型で、全体の約6割を占める。
動詞が主語を背負っている——スペイン語・イタリア語
スペイン語で「わたしはスペイン語を話す」は Hablo español である。「わたし」にあたる yo はなくてよい。動詞 hablar(話す)の語尾 -o が、すでに「わたしが」を言っているからだ。「あなたが話す」なら hablas、「彼らが話す」なら hablan と、人称ごとに語尾が変わる。
こういう言語では、主語の代名詞をあえて言うと強調になる。Yo hablo は「(ほかの人ではなく)わたしが話す」に近い。イタリア語やポルトガル語、ギリシャ語も同じ型である。言語学では、主語の代名詞を省ける言語をプロドロップ言語(pro-drop=代名詞の脱落)や空主語言語と呼び、生成文法の研究のなかで1980年代ごろに大きな論点になった。
空っぽの「it」——英語・フランス語・ドイツ語
主語を必ず置く言語には、おもしろい副産物がある。意味のない主語である。「雨が降っている」は英語で It is raining、フランス語で Il pleut、ドイツ語で Es regnet だ。この it や il や es は、何も指していない。主語の席を空けておけない文法なので、とりあえず誰かを座らせているのである。
イタリア語では Piove、スペイン語では Llueve の1語ですむ。主語を省ける言語は、空っぽの主語もいらない。英語とフランス語は動詞の語尾が少しは変わるが、人称を見分けられるほど豊かではない。そのため、主語を言わないと誰の話かわからなくなる。
動詞が何も語らないのに省ける——中国語・日本語・韓国語
ところが、東アジアには話がひとつ合わない言語がある。中国語の動詞は、人称によって形を変えない。それなのに「ごはん食べた?」は 吃了吗?(チー・ラ・マ)で、主語がない。韓国語の 밥 먹었어? も同じだ。
言語学者ジェームズ・ホアン(黄正德)は1984年の論文で、この違いを説明しようとした。カナダのメディア研究者マクルーハンの言葉を借り、聞き手が文脈から多くを補う言語を「クール」、文に情報をはっきり書き込む言語を「ホット」と呼んだのである。中国語や日本語はクール寄りで、英語はホット寄りだ。
この議論からは、もうひとつの見方も生まれた。主語を省けるのは、動詞の語尾がとても豊かな言語(スペイン語)か、語尾がまったくない言語(中国語)で、英語のような中途半端な言語は省けない、というものだ。省ける理由は、ふたつの道があるということになる。動詞が教えてくれるか、文脈が教えてくれるかである。
で、日本語はどうか
日本語は、明らかに文脈の側にいる。「行く?」「行く」という会話には、主語も目的語もない。動詞は人称で形を変えないから、スペイン語のように語尾から主語を読むことはできない。それでも通じるのは、話し手と聞き手が同じ場面を見ているからだ。
そのかわり、日本語は別の手がかりを動詞につけている。「いらっしゃる」と言えば主語は目上の人、「参る」と言えば自分の側だとわかる。「〜てくれた」「〜てあげた」も、誰から誰への行為かを示す。敬語や授受表現が、主語のかわりに人の向きを伝えているのである(敬語の話は敬語は日本語だけのものではないで書いた)。
主語を言わないことは、手抜きではない。「わたし」を毎回言う言語と、言わずにすむ言語がある。その差は、情報を文に書き込むか、場に預けるかの差だ。ほかの言語の文法の特徴は、索引から言語ごとにたどれる。
言語や文字の分類は研究者によって幅があります。本文は代表的な整理にもとづく概説です。