ことばのはなし — 文法
der die das

文法上の「性」は、なぜあるのか

ドイツ語の「少女」は中性名詞だ。文法上の性は男女の区別ではなく、名詞を「種類」に分けて文じゅうに響かせるしくみである。そして世界の半分以上の言語は、それを持たない。

2026-09-13 / 言語図鑑 編集部

ドイツ語の「少女」は、男でも女でもない

ドイツ語を習いはじめた人がまずつまずくのが、名詞ごとに決まっている der・die・das である。男性・女性・中性の3つ。そして「少女」を意味する das Mädchen は、なんと中性だ。

理由ははっきりしている。Mädchen はもともと「娘・下女」を意味する Magd に、小さいものを表す接尾辞 -chen がついた形で、-chen で終わる名詞はすべて中性になる決まりがある。文法上の「性」は、指しているものの性別ではなく、単語のかたちや種類で決まるのである。

英語の gender の語源はラテン語の genus(ジャンルと同じ根)で、もとの意味は「種類」だった。文法上の性とは、名詞をいくつかの「種類」に振り分けるしくみの呼び名なのである。

性を持つ言語は、じつは半分に届かない

ヨーロッパの言語ばかり見ていると、性はどの言語にもあるように思えてくる。だが『世界言語構造地図(WALS)』でグレヴィル・コーベットが約257の言語を調べた集計では、性を持たない言語が約145で、半分を超える。

性の数言語数(約)
なし日本語・フィンランド語・トルコ語145
2つフランス語・ヘブライ語・アラビア語50
3つドイツ語・ロシア語・アイスランド語26
4つ12
5つ以上スワヒリ語などニジェール・コンゴ語族の多く24

ここでの「性がある」の基準は、名詞そのものの形ではない。一致、つまり形容詞や冠詞、動詞、代名詞の形が、名詞の種類に合わせて変わるかどうかで判定する。名詞の語尾がそろっているだけでは、性があるとは言わないのである。

「男と女」とは限らない

性を持つ約112の言語のうち、約84は男性・女性の区別をもとにした体系だ。残りの約28は、性別ではなく「人間かどうか」「生き物かどうか」といった区分でできている。そのうち約17はニジェール・コンゴ語族の言語が占める。

代表がスワヒリ語名詞クラスで、番号をふって約18のクラスに分ける。人を表す mtu(人)と複数形 watu(人々)は1・2類、kitabu(本)と vitabu(本の複数)は7・8類。そしてクラスは文じゅうに響く。Kitabu kikubwa kilianguka(大きな本が落ちた)では、「大きい」にも「落ちた」にも本と同じ ki- がつく。ズールー語も同じ仕組みで、umuntu(人)と abantu(人々)が対になる。

では、なぜあるのか

「なぜ月は男性なのか」という問いに、決まった答えはない。ただ、性という仕組みそのものがどう生まれるかについては、手がかりがある。ジョゼフ・グリーンバーグは1978年の論文で、「あの」「その」のような指示詞が冠詞になり、さらにすり減って名詞にくっつく目印になる、という道筋を示した。性は、はじめから設計された分類ではなく、言葉の目印が長い時間をかけて文法に沈んだものだと考えられている。

インド・ヨーロッパ語族の歴史も、性が動くことを教えてくれる。いまは消えたアナトリア諸語(ヒッタイト語など)は「生きもの/そうでないもの」の2つしか区別せず、男性・女性・中性の3つは、祖語の後の段階で整ったとされる。

そして、性は消えもする。古英語にはドイツ語とよく似た3つの性があり、mona(月)は男性、sunne(太陽)は女性、wif(女性)は中性だった。語尾がすり減るにつれて11世紀ごろから弱まり、14世紀後半のロンドンの英語ではほぼ消えている。スウェーデン語やデンマーク語は男性と女性が合流して「通性」になり、enett の2つに減った。いっぽうアイスランド語は3つを保ち、数字の「1」まで einn・ein・eitt と形を変える。

で、日本語はどうか

日本語には文法上の性がない。「大きい」は相手が本でも人でも「大きい」のままで、名詞に合わせて形を変える単語はない。フィンランド語はさらに徹底していて、代名詞の hän が「彼」も「彼女」も指す。WALSが約378の言語で代名詞を調べた集計でも、性を区別しない言語が約254と多数派だ。

反対の極にいるのがヘブライ語で、「あなた」まで男女で分かれる。男性に向かっては atá、女性には at。「あなたは愛している」の動詞も ohevohevet で変わる。話し相手の性別が、文法のあちこちに顔を出す。

ただ、日本語にも名詞を種類で分ける手つきはある。助数詞だ。鉛筆は「1本」、紙は「1枚」、動物は「1匹」。かたちや種類で名詞を振り分けるという点では、性とどこか似ている。違うのは、それが数えるときにしか出てこず、形容詞や動詞にまで広がらないこと。ほかの言語の仕分け方が気になったら、索引からのぞいてみてほしい。

文法上の「性」は、男と女の話ではない。名詞をいくつかの「種類」に分けて、その種類を文じゅうに響かせるしくみである。das Mädchen が中性である理由
出典・参考:WALS Chapter 30: Number of Genders(Corbett, 性の数別の言語数)WALS Chapter 31: Sex-based and Non-sex-based Gender SystemsWALS Chapter 44: Gender Distinctions in Independent Personal PronounsWikipedia: Grammatical gender(Mädchen・genusの語源・アナトリア諸語・通性)Wikipedia: Gender in English(古英語の性とその消失)Wikipedia: Swahili grammar(名詞クラス)Wikipedia: Icelandic grammarWikipedia: Finnish grammar / Greenberg, J. H. (1978) "How Does a Language Acquire Gender Markers?", in Universals of Human Language vol. 3, Stanford University Press
言語や文字の分類は研究者によって幅があります。本文は代表的な整理にもとづく概説です。