ことばKOTOBA
ことばのはなし — 消滅
kōhanga reo · pūnana leo

言語を取り戻す——マオリ語とハワイ語の「言葉の巣」

話せるのが祖父母の世代だけになった言語を、どう子どもに渡すか。1982年、マオリの人びとが出した答えは、幼稚園をまるごとその言語にすることだった。

2026-10-04 / 言語と物語の図鑑 編集部

幼稚園から始まった、言語の立て直し

消えかけた言語を取り戻そうとするとき、どこから手をつけるか。教科書を作る、辞書を編む、大人向けの講座を開く。どれも大事だが、1980年代のニュージーランドが選んだのは幼稚園だった。

考え方は単純である。その言語を流暢に話せるのが祖父母の世代だけになっているなら、祖父母と幼い子どもを同じ部屋に入れて、一日じゅうその言語だけで過ごしてもらう。途切れた「親から子へ」を、「祖父母から孫へ」でつなぎ直すわけだ。この仕組みは言葉の巣(language nest)と呼ばれ、いまでは世界各地の言語復興の定番になっている。

コーハンガ・レオ——1982年、ワイヌイオマタ

マオリ語は、第二次世界大戦のころまではマオリの人びとの多くにとって第一言語だった。ところが都市への移住と英語中心の学校教育が進み、1980年代には、母語として話せる人はマオリ全体の約20%を下回っていたとされる。

そこで長老(カウマートゥア)たちの呼びかけで生まれたのがコーハンガ・レオ(kōhanga reo)だ。マオリ語で「言葉の巣」を意味する。0歳から6歳までの子どもを、マオリ語だけの環境で育てる。最初の巣は1982年、ウェリントン近郊のワイヌイオマタに開かれた。そして3年後には、全国で300を超えていた。

巣を出た子どもが英語だけの小学校に入ると、せっかくの言葉が止まってしまう。そこでマオリ語で教える学校(クラ・カウパパ・マオリ)がつくられ、1989年に公的な支援の対象になった。その2年前の1987年には、マオリ語法によってマオリ語がニュージーランドの公用語になっている。くわしくはマオリ語の図鑑に書いた。

プーナナ・レオ——ハワイが受け取ったバトン

同じポリネシアの言語であるハワイ語は、もっと追い込まれていた。1896年、ハワイ共和国の法律が、公立・私立を問わず学校の授業は英語で行うと定めた。1978年にハワイ語は州の公用語になったものの、学校で使えない状態は続いていた。

1983年、ハワイ語の教師や親たちが、コーハンガ・レオを手本に団体アハ・プーナナ・レオを立ち上げる。ハワイ大学ヒロ校のウィリアム・ウィルソンによれば、このとき団体が数えた「ハワイ語を使いこなせる18歳未満の子ども」は50人に満たなかった。

年マオリ語ハワイ語
1982最初のコーハンガ・レオ
1983アハ・プーナナ・レオ設立
1984カウアイ島ケカハに最初のプーナナ・レオ
1985巣が300を超える
1986学校でのハワイ語使用の制限が解かれる
1987マオリ語が公用語に公立のハワイ語学校が2校で始まる
1999巣の一期生が高校を卒業

プーナナ・レオ(pūnana leo)は、直訳すると「声の巣」。親たちは巣を開くだけでなく、州議会に働きかけて法律を変え、小学校から先の受け皿もつくった。2024〜25年度、ハワイ語で学ぶ公立の学校は28校、児童・生徒は約3,770人にのぼる。ハワイ語の図鑑とあわせて読むと、流れがつかみやすい。

巣は、巣だけでは足りない

ふたつの例に共通するのは、巣が「入口」にすぎないことだ。巣のあとに通える学校、家でその言語を使える親、その言語で働ける場所。そこまでつながって初めて、言葉は次の世代に渡る。

数字の読み方にも注意がいる。アメリカの国勢調査(2010〜14年)では、家でハワイ語を話す5〜18歳が約5,200人に増えた。ただウィルソン自身が、これはハワイ語の地位が上がったことの表れであって、ハワイ語を家庭の主な言語にしている子どもの実数とは限らない、と書いている。復興は進んでいるが、安泰になったわけではない。

それでも、この方法は海を越えた。フィンランドのイナリ・サーミ語は、1986年の時点で話せる子どもが4人だけだった。1997年に言葉の巣が始まり、最初の巣はその後の約10年で約40人の新しい話者を育てたという。

言葉を残すいちばん確かな方法は、記録することではなく、子どもがそれで遊ぶことだ。コーハンガ・レオもプーナナ・レオも、最初の教室は幼稚園だった

で、日本語はどうか

日本語そのものは消滅の心配がない。だが日本の国内には、ユネスコが2009年に「消滅の危機にある」とした言語・方言が8つある。アイヌ語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語だ。

どれも、流暢な話し手が上の世代に偏っているという点で、1980年ごろのマオリ語やハワイ語と状況が重なる。祖父母の世代がいるうちに、幼い子どもと同じ部屋で過ごす時間をつくる。言葉の巣の発想は、アイヌ語や沖縄語、宮古語を考えるときにも、そのまま手がかりになる。