約1,400年、誰も読めなかった
古代エジプトのヒエログリフは、約3,500年にわたって使われた文字である。ところが、いまわかっている最後のヒエログリフの碑文は、ナイル川上流のフィラエ神殿に刻まれた 394年8月24日 の落書きだ。そのあと読み書きできる人はいなくなり、19世紀まで約1,400年、誰も読めない文字になった。
文字が読めなくなるのに、文字そのものが消える必要はない。神殿の壁にも石碑にも、ヒエログリフはずっと残っていた。失われたのは「この形はこの音・この意味」という約束のほうである。解読とは、その約束を外から推理して取り戻す作業だ。
ロゼッタ・ストーン——同じ文を3種類で
手がかりは1799年、ナポレオンのエジプト遠征中に、フランス兵がナイル河口近くのロゼッタ(ラシード)で見つけた石碑だった。刻まれていたのは 紀元前196年、プトレマイオス5世の時代に出された1つの布告。それがヒエログリフ、デモティック(民衆文字)、ギリシャ文字の3種類で書かれていた。
ギリシャ語の部分は読める。ならば残り2つは、同じ内容を別の文字で書いたものだ。イギリスのトマス・ヤングが先にデモティックの読み取りを進め、1822年、フランスのジャン=フランソワ・シャンポリオンがヒエログリフの仕組みを解いた。
決め手はコプト語だった。コプト語は古代エジプト語の最後の段階で、ギリシャ文字をもとにした文字で書かれる。エジプトの日常語はのちにアラビア語に置き換わったが、コプト語は教会の言葉として残っていた。シャンポリオンはこれを学んでいたので、ヒエログリフの音を当てはめたとき、出てきた語が「エジプト語として意味が通るか」を確かめられたのである。
線文字B——言語の見当すらなかった
もうひとつの有名な解読は、ギリシャのクレタ島から出た線文字Bである。1900年からクノッソスを発掘したアーサー・エヴァンズが、大量の粘土板を掘り出した。ただしロゼッタ・ストーンのような対訳はない。何語を書いた文字なのかも、わかっていなかった。
道を開いたのはアメリカのアリス・コーバーだ。彼女は、同じ語の末尾が規則的に入れ替わることに気づき、語形変化のある言語だと示した。そこからイギリスの建築家マイケル・ヴェントリスが、音節の表を組み立てていく。クレタの粘土板にしか出てこない語を「地名」と仮定して音を当てると、アムニソスやクノッソスの名前が浮かび上がった。
1952年7月1日、ヴェントリスはBBCのラジオで、線文字Bはギリシャ語だと発表した。それまで有力だったのは「ギリシャ語ではない」という見方で、ヴェントリス自身もエトルリア語に近いと考えていた時期がある。記録されていたのは、ホメロスより数百年古いミケーネ時代のギリシャ語だった。
解読に必要なもの
ふたつの例を並べると、解読に効く手がかりが見えてくる。
| 文字 | 対訳 | 手がかりになった言語 | 解読 |
|---|---|---|---|
| ヒエログリフ | あり(ロゼッタ・ストーン) | コプト語 | 1822年 |
| 古代ペルシア楔形文字 | あり(ベヒストゥン碑文) | 古代ペルシア語の王名 | 1830年代 |
| 線文字B | なし | ギリシャ語(地名から) | 1952年 |
楔形文字では、イランの崖に刻まれたベヒストゥン碑文が同じ役を果たした。古代ペルシア語・エラム語・バビロニア語の3つで同じ文が書かれ、ヘンリー・ローリンソンがペルシア語の祖先にあたる部分から読み進めた。1857年には、王立アジア協会が4人の学者に同じ碑文を別々に訳させ、結果がほぼ一致したことで解読が認められた。
逆に、対訳がなく、子孫の言語も見当がつかず、文章も短い文字は、いまも読めない。クレタの線文字A、インダス文字、イースター島のロンゴロンゴがそうだ。線文字Aは線文字Bと似た記号が多く、音はある程度推測できる。それでも、出てくる語がどの言語にも合わない。
で、日本語はどうか
ヒエログリフは、意味を表す字と音を表す字を混ぜて書く文字だった。日本語の漢字かな交じり文も、同じ型に入る(文字の5つの型)。シャンポリオンの発見の要は、ヒエログリフが「絵の文字」だけではなく、音も書いていると見抜いたことにあった。
線文字Bは、子音と母音をひと組にした音節文字で、かなに近い。そのため子音が続く語は書きにくい。「人間」を意味するギリシャ語 anthrōpos は a-to-ro-qo と書かれ、n も語末の s も省かれた。英語の truck を「トラック」と書くとき、日本語が母音を足して音節に収めるのと、向きは違うが同じ悩みである。
言語や文字の分類は研究者によって幅があります。本文は代表的な整理にもとづく概説です。