舌打ちが、アルファベットの1文字になっている
南アフリカで約800万人が母語にしているコサ語は、自分の名前を舌打ちの音から始める。isiXhosa の x は「エックス」ではなく、舌の横を歯ぐきから離して鳴らす、馬を急かすときの「チッチッ」に近い音だ。コサ語の正書法では、この種の音に3つの文字を割り当てている。
| 文字 | 音の出し方 | 日常でいえば |
|---|---|---|
| c | 舌先を前歯の裏から離す | 「ちぇっ」の舌打ち |
| q | 舌先を歯ぐきから強く弾く | ポンと栓を抜くような音 |
| x | 舌の横を歯ぐきから離す | 馬を急かす「チッチッ」 |
これを吸着音(クリック)という。コサ語には、鼻に抜く・息を強めるなどの組み合わせを含めて約15の吸着音があり、基本語彙の約10%に入っているという数え方もある。ミリアム・マケバが歌った「Qongqothwane」は、この q の音が続く曲として知られている。
吸着音は、どこで話されているのか
英語でも日本語でも、舌打ちは「あきれた」「残念だ」の合図として使われる。ただしそれは単語の外側の音だ。吸着音をふつうの単語の子音として使う言語は、世界の音の地図『WALS』の約567言語の標本のうち、わずか約10言語しかない。
分布ははっきりしている。南部アフリカのコイサン系の言語と、そこから借りたズールー語やコサ語などのバントゥー系の言語。あとは東アフリカのタンザニアのサンダウェ語とハッザ語、ケニアのダハロ語だけだ。アフリカの外では、オーストラリアのラルディル語の話し手がかつて儀礼で使った特別なことば「ダミン」が、唯一の例とされる。
数の多さでは、ボツワナなどで話されるター語(ǃXóõ)が突出している。分析の仕方によって約45から約115の吸着音があり、辞書の単語の約70%以上が吸着音で始まるという。
のどを閉めて、口の中の空気だけで出す音
ふつうの子音は、肺から出る息で鳴らす。これに対して、声門(のどの奥の弁)をぴたりと閉め、のどぼとけごと持ち上げて口の中の空気を押し出す音がある。放出音だ。「カ」の k を、息を止めたまま鋭く弾くと近い音になる。
WALSの標本では約16%、約92言語が放出音を持つ。分布の中心は3つある。南北アメリカ(アンデス山脈沿いのケチュア語や北米太平洋岸の言語)、エチオピアなど北東アフリカ、そしてコーカサスだ。
ジョージア語は、同じ位置の子音を「有声・有気・放出」の3つで区別する。文字にも放出音専用の字があり、ტ(t')・კ(k')・პ(p')・ყ(q')・წ(ts')・ჭ(tʃ')の6つを数える。გვფრცქვნი(gvprtskvni、「きみがわたしたちの皮をむく」)のように8つの子音が並ぶ単語まであり、日本語の話し手には口の運動に近い。アムハラ語も放出音を持ち、エチオピアの文字にはその音のための字が用意されている。
「uh-oh」のまんなかにある音
いちばん身近な「珍しい音」は、声門閉鎖音かもしれない。声門を一瞬閉じて、また開くだけの音で、英語の uh-oh(あーあ)の「オ」の前に入る小さな詰まりがそれだ。ロンドンの下町ことばでは butter の t がこの音になり、「バッア」のように聞こえる。
ただし英語では、これはあくまで「言い方」の違いにすぎない。声門閉鎖を1文字として持つ言語もある。ハワイ語は子音が約8つしかない、世界でもかなり少ない部類の言語だが、そのひとつが声門閉鎖で、ʻokina(オキナ)という文字 ʻ で書く。koʻu は「わたしの」、kou は「あなたの」。ʻ があるかないかで、持ち主が入れかわる。州名も本来は Hawaiʻi と書く。
アラビア語ではこの音をハムザ ء で書き、マルタ語ではアルファベットの q がこの音を表す。同じ音でも、文字の割り当ては言語ごとにまるで違う。
で、日本語はどうか
日本語は、吸着音も放出音も単語の子音としては持たない。WALSの「珍しい子音」の調査でいえば、どれも持たない約8割の多数派の側にいる。
それでも、日本語の話し手はこれらの音をすでに口にしている。困ったときの「ちぇっ」の舌打ちは、コサ語の c とほぼ同じ吸着音だ。驚いたときの「あっ」の最後の詰まりは、声門閉鎖音である。日本語はこれを小さい「っ」で書く。単語の中には入れないが、感動詞の端っこにだけ使っている、ということになる。
「珍しい音」とは、人間の口に出せない音ではない。どの言語も口に出せる音の一部だけを選んで単語をつくっていて、選ばれなかった音が、たまたま舌打ちやため息の係になっている。その選び方の違いを、言語の索引で地図と重ねて眺めてみると面白い。
言語や文字の分類は研究者によって幅があります。本文は代表的な整理にもとづく概説です。